子ども食堂をやっています。

こんにちは。

百合ヶ丘の隠れ家、佐渡市公認の店「たまり」の女将で陶芸家のクメ タマリです。


経緯など、ちょっと長ーーーいんですが、お時間あったら読んでやってくださいまし。


「たまり食堂について」


言い出しっぺからみなさまにご挨拶  2020/7 記


こんにちは。

「たまり食堂」代表の粂田真理です。

「たまり食堂」は、2016年4月に発足しました。

有志が集まって始めた、この、いわゆる子ども食堂は、今、5年目に入ったところです。

私たちの子ども食堂は、ちょっと変わっています。

ここは、食事をただ提供する場所ではありません。

基本毎月第1月曜日、私たちは買い出しをし、材料を刻み、味付けして練り、餃子の種を作ります。

皮を用意し、羽釜でご飯を炊いて小さな参加者を待ち受けます。

子どもたちがやってくると、まず、手を洗い、テーブルについて、思い 思いのユニーク餃子を作り始めます。出来上がった餃子作品を、私たちは預かって、香ばしく焼き上げます。

モヤシがついたり、チーズが乗ったりすることもあります。

そして、一緒に作りあったみんなで、、、参加者はもちろん、私たちボランティアも共にテーブルを囲み、ご飯を食べる。

言ってみれば、ただそれだけの集まりです。

あー、今はできませんね。悲しいが。

さて、どうして、こんな子ども食堂としては異例な形になったのか。

ここからは、「1人でも始める」と、強い思いで始めた私自身の話になります。

私がまだ幼かった頃、まだ戦争の傷も生々しく残っていた時代でした。

父が出て行った後、幼い私を抱えて働かなくてはならなかった母と私は2人暮らしでした。

それなので、随分と様々な場所に預けられました。

人里離れた母の郷里の山中はもちろんのこと、7歳の時には千葉の小さな寺に預けられていました。

その中で私が学んだものは、親がそばにいて守らない子どもがどのような扱いを受けるものかと言う痛い現実。と、共に、相反して、ある大人たちは案外子どもを守ろうとするものなのだな、と言う、ある種人間に対する信頼のようなものでした。

もちろん、幼すぎて、そこまで意識したものではありませんが、多くの人がまだまだ大変だった時代にも、「こんな大人になる」と、私に思わせてくれた人々がいたことに、今となっては感謝です。

その私が、大人どころかおばあさんになって、思ったこと。

「この地域の子どもを見守りたい。子どもたちの居場所になりたい。1人でもやる。あの幼い日、自分が救われたその恩返しがしたい。」

もう一つ。今の形を作った大きなファクターがあります。

私は、20年余り、川崎の骨髄バンクのボランティアをやってきました。

そこで、ボランティアの基本というか、基本理念を学びました。

「できることを

できる範囲内で

できる時に

やる。」

私はそこに、もう一つ項目を設けました。

「そして、できうる限り続ける。」

ボランティアは奉仕でも、ましてや滅私奉公でもありません。

自ら進んで行う行動のはず。その意識の源には楽しみと、喜びがあるはずです。

これが、私が何かを始める場合の唯一のポリシーとなりました。

ですから、、、、

運営者側のみが「サービス」すると言った方法はやめよう。

参加者には、自分でできるだけやれることをやってもらおう。寄付をお願いできる方にはお願いしよう。

子どもだけで来てもいいように、参加する大人全員がみんなで子どもを見るようにしたい。

参加する全員でこの「たまり食堂」を作ることを目指そう。

そして、一緒に作業し、一緒に食べることで、みんながこの地域に住う家族のようになれる、、、、、

そんな方法はないものか。

そして、それは、持続可能な方法でなくてはならな